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〜 その1:入院〜オペ当日まで 〜 (※写真は本人承諾分のみ)
![]() 退院後も鬱血のダル痛みがあって、夜、上手く眠れません。 オペ時の出血は感染症防止のため、バキュームを使わずに自然吸収させるやり方らしく人によって様々な鬱血が現れます(写真参照) 歯がゆい痛さとでも言いましょうか、やり場のない腹立たしいダル重い感じの痛み? うまく表現できないけれど。 でも、オペ後22日目、確実に日にち薬が効いていることを実感してきましたので、 書き始めました。
さて、私の入院日は6月5日(金)朝8:45という事でしたので、
4日の早朝、自宅を出発し、その夜札幌市内のホテルに宿泊したところから始まりました。 小笠原病院には、前もって送迎をお願いしていましたので 真駒内駅からはマイクロバスの送迎で病院に。※送迎は要予約です。 個室を希望していましたが、大入り満員千客万来にて、個室ではなく今時珍しい? 6人部屋となりました。 これだけ行列の出来る病院で、個室が5室ということですから(高額なお部屋はもう少しあるみたいですが)タイミングもあって、スムーズに個室に入る方は少ないようです。 ま、結果的には同室の方々とのやりとりが楽しかったり、退院後も情報交換しあえて良かったと思います。 実際、家族よりも症状に関してはわかり合えるよねって事です。 貯血の時(オペ1ヶ月前に自己血を採取し、オペ後の輸血用にストックしておくのです)の時にお会いした方々、つまり8日のオペは私を含め計4名。 お一人だけ隣室になりましたので、6人部屋の内3名は同日オペメンバーということになりました。 5日、初めての回診時に知ったのですが、私たちは8日(月曜日)オペ予定なので、 金曜日の回診後から土日は何も予定無し。 つまりはウエイティング入院のようなもの ということなんです。 外出や外泊をしても良いとのことで、「えっ!そうなんだ (^O^)/」 私は即座に外出届を出し、金曜日の午後3時頃から就寝時間まで、 札幌市内ホテルのスパに行ったり食事を楽しんだりして来ました。 夜は小笠原ホテル泊(と呼ぶようにしたのです。小笠原病院より気分的に楽しいから(^_-)-☆) 翌土曜日は朝から外出。真駒内駅からバスに乗って、定山渓温泉+黄金湯と温泉はしごと 食事を楽しんできました。温泉のことは、同室オペ仲間の方や、 回診に廻ってこられた時、リハビリの先生からの情報です。 石部ドクターもいつものスマイルでうなずいておられました。 日曜日は外泊届けを出し、近くの保養センターに宿泊して、 オペ当日の回診前に、つまり朝帰り?です。 前日21時からは食べ物は一切取らないという確約の元に。 ※つまり、入院する曜日によって、 このようにウエイティング入院日が生じることがあるということです。 オペ当日。 私は最終ランナーで当初の予定は確か15時30分だったと思います。 隣室のメンバーが一番目で、二番手から同室のメンバーです。 手術室に向う彼女を みんなで声を掛けて見送りました。 人ごとではありません。やはりドキドキ。予定時間は平均1時間半。 麻酔やら何やらの準備に30分と、実際のオペに1時間のようです。 が、予定を過ぎても戻って来ない....。 延長約30分後に戻って来たのですが、どうやら移植が必要だったようです。 私自身も骨盤が未発達であることを聞いていましたので、不安が過ぎりました。 未発達は日本人には多いらしく、よく聞いてみると移植の必要な方は希ではないらしいのです。 そして3番目の方もやはり要移植でした。 移植の場合は負荷二分の一(三分の一の方もいるらしい)なので、 オペ後1ヶ月は両松葉杖でいなければならないのです。 実は後日入って来られた方も移植で、つまり6人中50%なんてことになりました。 「三分の一なんて方は、どうやってわかるのかしらん? ヘルスメーター持った執事付で、赤い絨毯の上を松葉杖で歩くとか〜?」 なんて冗談言いながら。 そして16時25分 ラストは私の番です。もう まな板の上の鯉ですから。 麻酔は手慣れた作業によって、大した痛みもなくアッと言う間に「無」となり、 「終わりましたよ〜」って声で目ざめた瞬間、私は反射的に「今、何時ですか?」と聞きました。 そこで自分がノーマルな予定時間内に終了した事を知り、ホッとして全身がゆるみました。 オペ後、ドクターがいらしてレントゲン写真をヒラヒラさせて見せてくれるのですが、麻酔でボ〜ッとしているので、わけわかんないままに、いつの間にかドクターも立ち去ってしまっていたって感じでした。 ※移植も希なことではないということ。その目安はタイムかも。 麻酔から覚めるとき、強力な頭痛や吐き気のある方もいるようです。 幸い私は、その痛みや切開部分の痛みもまったくありませんでした。 まだこの時点では脊髄に痛み止めのチューブと尿管も付けられている状態です。 だから、痛み止めとの相性でもよかったのかしらん? 痛み止めは痛くなってからでは効かないことが多いと知らされ、 夜中に痛くなると辛いので、20時30分に注入してもらいました。 なので、朝までグッスリ〜〜〜!zzz と眠れるはずだった。が、しかし! オペとは関係なく、何だこのベッドの堅くて小さいこと! 私の身長が大きいこともあるけれど、それにしても私的には「跳び箱ベッド」 跳び箱のように堅くて狭いってことです。 しかも、常に大きな枕を股の間に挟んだ状態でいなければならず、 安眠どころか、ほとんど眠ることができませんでした。 ※オペ後は不安定なため、脱臼防止も兼ねて、股の間に常に大きな枕を 挟んでいなければなりません。横向きになる時やベッドから立ち上がるときも、 とにかくベッドに居るときは常に枕挟み状態なのです。これは退院後も同じく。 癖をつけるため、1ヶ月検診またはそれ以上続けなければいけないのだそうです。 翌朝は、全員が「イタタタ...!」と言いながら顔をしかめて苦笑いしながら顔を 見合わせました。 ドクターはハイテクノロジー・ハイテクニックだけれど、 小笠原ホテルのベッドはローテクです。 手動でクルクル回さなければ背もたれの角度を変えることもできません。 なので、いちいちナースコールです。看護士さん達は毎日てんてこ舞い。 点滴ハンガーや(と言うのかどうか知りませんが)エアポンプの数も少なくて 順番待ちって感じです。アンケートに書いてこようと思いつつ、 用紙を引き出しに入れたまま退院してきてしまいました(>_<) 今後の方のためにも設備が改善されるように、アンケート書いてきてくださいね(^_-)-☆ よろしくお願いしますm(__)m 脊髄に入っている痛み止めのチューブを取ってもらい、 歩行器でトイレまで行けたら尿管も取り外す という関門があります。 ベッドから立ち上がると、一瞬フラつきもしましたが、 すぐに慣れたので、無事チューブともバイバイできました。 皆さん痛いようでしたが、申し訳ないけど私はまったく痛みを感じませんでした。 なので、これがいけなかった!のかも??? 実は日頃から10cmヒールで歩いていて、 ヒールを履いていなくても足はかかとを地につけないで歩くクセがついているのでした。 だから歩行器を使っていてもつま先歩きしてしまうのです。 それを見た看護士さんが、「2ステップで歩いているのを見て、目が点になりましたワ!」と。 スイスイ飛ぶように歩いているように見えたのでしょうね。 「とても昨日オペされた方とは思えない!」とまあ、 つまり気をつけないとコイツはアブナイかも!?と思われたようで、 しかも人一倍X脚のクセもあり(X脚は脱臼しやすい危ない形) 見ている方はハラハラドキドキ!ご心配をかけてしまったようですm(__)m なので、代わる代わる対応してくれた方々全員に注意されまくりました(^_^;) でもま、おかげさまで、 自分でも少しは無鉄砲なことをしないように気をつけるようになった ような??? それにしてもスゴイ事です! オペ翌日から歩行練習ですものね〜! オペ前は悪い方の足は良い方の足のくるぶしあたりでプランプランしていたのに、 今や見た目では全く変わりなく両足が揃っているのですから、感動ものです! ※ほんとに症状は人それぞれ違うものだと言うことを知りました。 自然治癒力や基礎体力、細胞に組み込まれたDNA、 性格や環境、ご先祖さまパワー?に至るまで十人十色。 当たり前のような事ですが、あらためて強くそれを感じました。 |
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