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〜 その1:自己紹介/私の股関節の歴史/人工関節への決心 〜 (改めて書くのは苦手だったので、今まで色々な方にメールした内容をベースにして、まとめました。誤字や読みずらい所もあるかもしれませんが、よかったら、読んでくださいね) 1.自己紹介 ・北海道在住 51歳(1955年生まれ。同年代に、明石家さんま、松山千春、野口五郎などがいます。なんかおかしな人がいる年だと、自分では思っている。同じ年の方がいたらごめんなさい) ・家族 約20数年、共同経営者(世間では、配偶者)とサファリパーク(という、我が家)を 経営。三匹の猛獣(オスの大、中、小)を飼育中。 そろそろ手に負えなくなってきたので、猛獣の大は、札幌へ放牧中(某大学で) ・生活暦 学校卒業後の22歳から、働いています。 27歳で結婚。途中で2ヶ月間、専業主婦をしましたが、あえなく挫折(実は家事が苦手だった)。 2.私の股関節の歴史 ・幼少期 歩き始めたのが遅くて、やっと歩いたと思ったら、体を揺らして歩き方がおかしかった。整形外科で、「左股関節脱臼」と診断され、包帯で開脚して固定しましたが、 治らず、ギプス固定を数ヶ月していました。 *この年代の数年後に、乳幼児の股関節脱臼検診が実施されるようになりました。私も検診があったら、臼蓋形成不全や脱臼がすぐ分かったのにと残念です。 ・小学校時代 私は、運動会の徒競走がビリッケツになる位の運動音痴でしたが、元気に成長していました。 母は「股関節脱臼の子供は、大きくなったら、また股関節が悪くなるよ」と聞いたことがあり、私の股関節を心配していました。 某大学病院整形外科を受診。 当時の診察は、ほとんど裸状態で、開脚とか計測とかあれこれあり「異常ありません。痛くなったらいらっしゃい」と、言われました。 小学生高学年だった私は、こんな恥ずかしい診察をされるのなら、二度と来ないぞと思ったのを覚えています。 その後、股関節痛が出現しても、受診をためらわせた一因に、この時の嫌な思い出が影響しています。 *今だったら、たぶん「形成不全があります。今は、軟骨や関節の変形もありませんが、将来、股関節症になる可能性があります。定期的に経過をみるか、疼痛など症状がでたら、必ず受診するように」と、お話して下さったのかもしれません。 ・診断 10代後半から股関節周囲の重苦感、疲れると疼痛出現。 20歳の時、立っていて股関節に激痛が走り、整形外科を受診。 左は、進行期の変形性股関節症、右は臼蓋形成不全と診断されました。 ・進行期 22歳で就職。忙しく楽しく働いて1年が過ぎた頃、 左股関節は、骨盤側に骨膿胞ができ軟骨もほとんどなくなり、末期状態。 常時疼痛があり、鎮痛剤を服用しても、つらかった。 ・自骨の手術 24歳の冬、骨頭内反術(当時の術式名です。大腿骨の頚部で切って、変形した骨頭を少し傾けました)を行い、 その3ヶ月後に、骨盤骨切り術(当時の術式名です。当時、進行期の股関節症に対して、骨盤の骨切り術は、あまり行なわれていませんでした。 主治医は、大学の股関節専門の仲間に相談したり、外国の手術成績等を調べて、一生懸命考えてくれて、「今、人工関節にするわけにはいかない。成功率は五分五分だが、この手術がいい」と、勧めてくれました。) それぞれの手術後、約8週間の寝たりきりを経験。 手術後の麻酔からさめて、もうろうとしている時 「うまくいきましたよ。成功しましたよ!」と、レントゲン写真を片手に、うれしそうに駆け込んできた主治医を、今も覚えています。 その後、何人もの整形外科医の診察を受けましたが、「いい手術を受けましたね」と言われました。 数年後に、身体障害者手帳(左変形性股関節症で、5級)を取得。 *20代の一番いい時に、9ヶ月も休職し、キャピキャピギャル(古い言い方で〜す)だったのに、一時杖を使わないと歩けない状態になり、 この頃、ちょっと、自分の人生観が変わったような気がします。 あの時、やけくそで思ったのが、どん底っていいなぁって。 だって、それ以上、底が無いんだもん。 底なし沼じゃないぞ! いつまでもどん底を歩いていようと思い、歩いていたら、気がつくと、ちょっとずつ明るさが見えてきて、道が上ってたんです。 次は 続き・・・ |
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