患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

よしえ様からの声

 今、私は股関節の痛みがあった事を忘れて生活をしています。
毎日、こんなに幸せでいいのかな?って思っています。
今、私の体験談をお読みになってるあなたは股関節に痛みがあるのでしょうか?
それとも、あなたの大切な人が股関節痛で苦しまれているのでしょうか?
だったら、もう大丈夫ですよ♪
もう、あなたは石部先生と出逢えたのですから......。

昨夜、私に電話がありました。私が股関節の手術をした事を知人から聞き、ぜひ話がしたいと。私は簡単に経緯を話して、最後にこう言いました。
「股関節の手術をするなら、信頼出来る医師にお願いしてください。
私は、石部先生に手術をしてもらって、本当に感謝しています。」と......。

誰もが日々を健康で過ごしたいと望んでいる事でしょう。
でも、生きていると病気になったりします。
病気になると身体はもちろんですが、心もダメージを受けます。家族をはじめ周囲の人にも、大なり小なり何らかの影響を与えてしまいます。それは大変心苦しいものです。               
病気は24時間、私から離れてくれません。
ある日、突然、完治しない難しい名前の病気と共存して生きていく事になりましたが、信頼出来る医師に出逢えなかった事が、私には一番辛かったです。
日本には、沢山の病院がありますが、心底信頼できる医師に出逢うには、ものすごいパワーと時間が必要でした。

今から11年前の2000年6月、今まで経験した事のない突然の激痛が私の右股関節を襲いました。その日は大雨が降っていて、私は痛みで泣きながら、左足で50分間運転をして帰宅しました。大急ぎで家族に近所の病院に連れられ、そのまま緊急入院をとなりました。私は今まで大きな病気などした事がなかったので、根拠のない楽観的な判断で大丈夫だろうと思っていました。
翌日、「あなたの病気は、命に係わる病気ではありませんが、」と医師が病状について話し始めました。病状を聞きながら、母とふたり涙しました。
病名は、特発性大腿骨骨頭壊死症で、左右の骨頭に変化が見られ、右の骨頭はかなり潰れていて、左の骨頭は症状は軽いが、いずれ右と同じ様に潰れます。この病気は特定疾患に指定されているので、特定疾患手帳を交付してもらうように言われました。
2週間の入院を終えて帰宅すると、我が家には新しい車椅子がありました。
この日から私の車椅子&松葉杖との生活が始まりました。
部屋は2階から1階に移りました。

ここから私の主治医探しの歴史が始まるのです!

まず、地元の大きな病院に行きました。
京都の病院にも行きました。
地元の整形の医師が、「自分では診られる病状ではないのですが、名古屋の病院に信頼できる股関節の医師がいますから、その医師に受診されたらいかがですか?」と言われたので、早速、その病院に行きました。その名古屋の股関節専門の医師の言葉で、今も記憶に残っている一言と印象的な表情があります。
私が持参した緊急入院先の医師からの紹介状を読むと、「セカンドオピニオンで来たの?」って言いながら、この私にセカンドオピニオン?って感じで面倒臭そうな表情をされました。私は、名医か何か知らないけれど、この先生嫌だなって思いましたが、これ以上家族に迷惑を掛けるのも心苦しいので、この名古屋の病院で、2000年9月26日に右股関節の骨切り術をする事になりました。3ヶ月の入院でした。私が手術をした翌日、妹が出産しました。27日の夜、父が車を走らせて産まれたばかりの赤ちゃんの写真を私の病室に持ってきてくれました。初産だったのに、母は私の付き添いで名古屋の病院にいました。妹に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、妹は、[私も育児頑張るから、よしえちゃんも入院生活頑と張ってね♪]と手紙を書いてくれました。
術後の2週間の寝たきり生活が終わると、私は個室から大部屋(4人部屋)に移りました。入院患者の多さに、股関節の病気の人ってこんなにいるのか!って驚きました。年齢性別様々な患者さんが入院されてました。私のように骨切り術をした人、人工関節を入れた人、人工関節を入れ直した人など、様々でした。脱臼した人は沢山いらして、[人工関節=脱臼][脱臼の痛みは、ものすごい痛みで人工関節を入れたら常に脱臼の心配がある。]という方程式が私の脳裏にシッカリとインプットされたのです。退院する頃には、人工関節を入れたら最後、と、まるでこの世の終わりかのように思っていました。どんなに痛くても人工関節だけは入れないぞ!と私は決意したのです。

2002年2月、骨切り術をした時に入れたボルトを抜く手術をしました。
この頃には、左の股関節の痛みが酷くなってきました。
2000年から2005年の5年の間、ガンガン左右の骨頭が潰れていきました。
左右の足の長さが変わり、自分で足の長さを調節する靴敷を靴下やパンストで作りました。左右の足の長さに差がある間は靴敷が手放せなかったので、ヒールが履けなくて、サイズが大きめのブーツを履いていました。夏でもブーツを履いていたので、サマーブーツを探しに色んな百貨店に行きました。歩き方も変になり、足の変形も出てきたので、デニムやミニスカートを履くのをやめました。ロングスカートばかり履くようになりました。
女性として、好きな洋服や靴が履けない事は悲しかったです。
病状が、この先でどうなるのか解らない事も不安でした。そして、この頃には、痛みでボルタレンと松葉杖が手放せなくなっていました。24時間太ももが疼き、股関節が痛くて、仕事が終わると直ぐ帰宅する事が多くなりました。元々は活動的だったのに......。
心の底から笑う事も少なくなりました。

その後、左右の骨頭が潰れるだけ潰れたら、足の左右の長さが揃いました。身長は2.5センチ縮んでましたが、左右の長さが揃った事は嬉しかったです。太ももの疼きも無くなりました。股関節の痛みはありましたが、太ももの疼きが無くなった事で夜中に目が覚める回数も減りました。
2007年夏、ボルタレンアレルギーとなり、鎮痛剤をロキソニンに変更しました。

2008年頃、テレビで人工関節の手術を観て、人工関節に対する私の意識が、ほんの少しだけ変わりました。一度、この先生方に会って話しをしてみたいと思いました。
その時、私が会ってみたいと思った医師は二人でした。
早速、診察予約をして、診察日にそれぞれの病院に行きました。鎌倉と真駒内に......。
会いに行って良かった。もし、私がいつか人工関節を入れるなら、この先生にお願いする。たとえ診察や手術に何年待とうが、この先生がいい。と心底思えた医師が石部先生でした。しかし、まだ人工関節に対しての拒否感はありました。

2009年2月、私は石部クリニックから手術日が決定したと連絡をいただいたのに手術をキャンセルしたのです。年齢の事を考えると、入れ替えする事にもなるだろうし......。やっぱり人工関節が嫌だったのです。

2009年4月、豊田の病院で私は骨髄ドレナージという手術をしました。効果は全くありませんでした。

2009年の初夏だったと記憶しているのですが、(曖昧ですみません。)東京で石部先生がお話しをされる事を知り、私は東京に行きました。会場には、私のように股関節が痛くて手術を考えてる人や、手術をした人など、様々な人が参加されていました。
私の隣の席に年齢が近い女性が座りました。颯爽と登場されたので、ご家族に股関節が悪い人でもいらっしゃるのかしら?と思ってたのですが、やがて彼女は名前を呼ばれて自己紹介をされました。なんと、彼女の足には人工関節が入っていたのです。後で彼女と話しをしました。彼女も関西在住ということでした。彼女はこう言いました。「歯が悪いと歯の治療で被せ物をするでしょ?足が悪いから人工関節を入れる。要するに虫歯の治療と同じだよ。もしあなたの家族が人工関節に不安を感じているなら、私が自転車に乗って会いに行くよ。」と......。
人工関節に対するイメージが、コロリと変わりました。こんなに元気なの?こんなに前向きなの?こんなに明るいの?
彼女が特別ではなく、手術をした患者の皆さんが、パワフルで、石部先生を囲んでの会場はまるで同窓会のようでした。
会場でお会いしたかった女性とも会えました。彼女との出逢いは、[患者の声]です。[患者の声]に書かれていた連絡先に私がメールを送って、それから彼女には色々とお世話になっていたのです。彼女とは年齢も近い上に病名も同じだったので会えて嬉しかったです。彼女も人工関節が入ってるとは思えない位、自然に歩いていました。アドレスの交換をして、その後もメールのやり取りが続き、私が入院した時も手術の日もメールで励ましてくれました。術後の不安も彼女に質問して解決できました。残念なことに、私は携帯を水没させてしまい、彼女のアドレスが消えてしまいました(涙)また患者の声から彼女に連絡しよう♪と思っています。彼女は東京で会った時、一緒に来ていた彼氏さんと結婚しました。彼女から結婚報告を聞いた時の嬉しさは今でも鮮明に覚えています。
会場から帰りの電車の中で、私は愛知県から参加された女性と少しお話しをしました。再診日に石部クリニックに行くと、私は石部先生から、小さな封筒を手渡されました。その封筒の中には、電車の中で少しお話しをした女性の連絡先が書かれたメモが入ってました。私が診察に来た時に渡してくださるように石部先生にお願いされていたとの事でした。それが私と政子さんの出逢いです。政子さんは、いつも前向きで、いつも私に心配りをしてくださいます。政子さんにも入院中、入院後、お世話になりました。「手術をしたら杖と鎮痛剤とさよならできるよ。」って政子さんに言われましたが、それは本当でした♪♪♪

私が今回、ここに自分の事を書こう!と思った理由は、私も先輩患者さんから、とても親切にしてもらい、あんなに人工関節に拒否感を抱いていた私が、手術日を待ち望んで楽しみにするくらいになれたのは、先輩患者さんの実体験を聞いたり、御本人のパワフルさや前向きさや優しさに触れ合えた事が大きかったからです。
東京から帰り、早速、私は再診察の予約をしました。

2009年12月の診察時には、石部先生に、「手術を宜しくお願いします!」と大きな声ではっきりと言えました。
2010年11月に右股関節手術・2011年の3月に左股関節を手術しました。

2011年6月から私は再び授業に参加しています。2時間半立ち続けていますが痛みは全くありません。もう途中で椅子に座らなくても大丈夫なのです。痛みで脂汗を流す事もありません。
ミニスカートもハイヒールも履いて颯爽と歩いています。身長も元に戻りました。11年間の股関節痛は忘れてしまいました。(笑)
入院中は、先生方をはじめ、看護師さん、病院のスタッフ、沢山の方々にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。同時期に入院した患者さん達とは、連絡先を交換して仲良くしています。
皆さんもいずれ手術&入院をされると思うので、入院&手術の事は、あまり詳しく書きませんが、[心配する事は何ひとつありません♪楽しい入院生活を過ごせますヨ♪]

どうか皆様が股関節痛と鎮痛剤と杖から一日も早く離れられますように......。

2011年7月                  よしえ

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