患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

エモット百子様からの声

変形性股関節症

股関節の痛みを自覚するというよりも、子供のころから、歩き方や走り方が普通の子とは違っていたようで、友達にも言われたことがありました。
また、主人には、股関節に負担のかかる歩き方をしていると、注意をされていました。
しかし、どうやっても腰が悪いような歩き方になってしまうのです。

子供のころから、よく肩がこっていました。
最初の子供を出産してからは、いつも腰が痛くて、肩こりがひどかったです。
その頃からでしょうか、接骨院に通うようになっていました。

ある時期から仕事が忙しくなり、家事、育児との両立でストレスも重なり、右足の付け根が痛くなり、びっこを引くようになりました。
すぐに、整形外科に行って診てもらいました。
結果は、股関節が変形しているということでした。
手術をすると3か月は入院と、その当時は言われました。
その時私は、28歳だったと思います。子供は、まだ3歳、入院は無理と先生に言いました。痛み止めを出しますと言われたので、お断りしました。

民間療法

とりあえず、書店へ行って本を読みあさり、一冊の本を見つけました。股関節を専門とする民間治療です。すぐに、そこに連絡をし、治療をしてもらいました。
約一か月毎日通いました。それから週に2回、1回となり、痛みも治まっていきました。

6年後、第2子を出産しました。出産後、右足がしばらく上がらなくなりました。
また、民間治療の所へしばらく通いました。また、とりあえずよくなりました。

その6年後から、バドミントンを始めました。
すっかり、バドミントンに夢中になり、気がついてみると週に4回はバドミントンをしていました。試合にも毎月のように出て、コーチトレーニングにも行き、まるで部活のようでした。
ある試合に出た後でした。左股関節にものすごい痛みを感じて、歩くのがやっとでした。その時も整形外科に行きMRIとレントゲンを撮ってもらい、変形性股 関節症と病名をつけられました。「右は悪いですね。どうしますか?これから先のことを考えて手術しますか?」と言われました。「私が今いたいのは左ですけ ど、右は今痛くないんです。
今、手術はしません。」と、不信感から、そのように言いました。そのあと痛み止めを出されました。

もう一度バドミントンがしたいという思いから、いろんな民間治療に行きました。
本やネットで、治療法を模索していました。
そんな時、近所に新しく接骨院ができたので、そこに行ってみました。
「筋肉が固いですね」と言われて、固くなった筋肉を少しずつほぐしてもらい、サウナやお風呂に行ってゆっくり過ごしているうちに、痛みが引いていきました。
そして、また、バドミントンに復活しました。
試合回数や、練習回数もへらし、体と相談しながらPlayするようにました。

シンガポール生活

d_voice112_2.jpg

シンガポールに主人が転勤となり、移住から6ケ月後には、バドミントンをまた始めました。しかし、日本のような恵まれたコートでなく、コートは固く、掃除も行き届いていないので、ちりやほこりでコートは滑ります。最悪はコンクリートのコートという所もありました。
日常生活では、住まいの床は大理石で固く、冷たいので、いつも足が冷えてしまいます。
外出先では、あらゆる室内、電車の中は非常にクーラーが強く、体が冷えてしまいます。
地下道は大理石、道はコンクリートですが、日本よりも固いのです。
そんなところを毎日、結構歩くわけですから、足に言い訳がありません。
自転車があるとよかったのですが、自転車を乗っている人がいないのです。
自転車を止めるところもありません。
みなさん、車かタクシーで移動しています。
一般の方は、地下鉄とバスで移動しています。

不便を感じながら、過ごしていましたら、あるときから、バドミントンをすると夜中に痛くて眠れなくなりました。
歩くのも、30分がやっとの時もありました。10分しか歩けない時もありました。
そんな状態のときは、非常に落ち込むものです。
それから、これは専門医に診てもらおうと思いインターネットを探し、石部先生を見つけました。
すぐに、姉に連絡をしました。というのも、私の姉はすでに末期の変形股関節症で10分も歩けない状態でしたので、一緒に連れて行こうと思いました。

初診

電話で予約をしてから、約一年後、診察をしていただきました。
レントゲンを撮り、筋力測定をしてから診察室へ行きました。
「10分歩けますか?」と、先生に聞かれました。
「痛いときは歩けなくなりますが、痛くないときは1時間ぐらい歩けます」
左も決していい状態ではないということでした。
頭の中が一瞬白くなりました。
手術の予約をして、手順よく流れにそって、8か月後に来るように設定しました。
一緒に診察を受けた姉は、時期的に私と一緒に手術ができないと言うことで、キャンセル待ちをして、3か月後に私より先に手術を受けました。

わたしは、受診後シンガポールに戻り、いつもの生活に戻りました。
状態のいい時は、バドミントンもできて、手術をするのに迷いが出ました。
バドミントンをするために、ストレッチや体力づくりと食事にまで気を配りました。
運動が出来なくなることで、生活の目標設定が失われてしまう気がして、考えるところがいろいろありました。
石部先生にメールをしました。「手術の決心が付きません」といったような内容だったと思います。
返信が「迷っているようでしたら、やめたほうが良いと思います」とはっきりと返ってきたので、「じゃあ迷わない。決めた。」と、一歩前進しました。

手術に臨む

手術後、またバドミントンをしたいという気持ちは、持ち続けていました。
入院は10日位なので、筋肉がそれほど落ちなくてすむと考えていました。
札幌に来る前の日まで、バドミントンのコーチトレーニングをしていました。
筋トレやストレッチをしていた為か、股関節に痛みはありませんでした。
歩くのもすいすい歩けていました。
しかし、いつ痛みが襲ってくるかと思うと、今やったほうが良いと決心していたので、迷いはありませんでした。

手術後

次の日から歩行練習が始まりました。腫れと痛みとの戦いです。
「一日も早く歩けるようになりたい」という思いが強くありました。
リハビリは思うように足は上がらない。痛い。これから先に不安が出てきました。
毎日リハビリをする入院生活、これほど自分の体と向き合ったことは無いという程、体のあちこちの筋肉に集中しました。

退院後
1か月後の再診まで、リハビリで頂いたメニューをやりました。また、少しずつトレッチをしました。歩くことには、つらさを感じませんでしたが、座る立つという動作の時に力が入りませんでした。靴下を自分ではくこともできませんでした。
青森の実家は、雨や雪で散歩することもできず、家は寒く、部屋の外に出るのがおっくうでした。

検診後

結果はよいものでは、ありませんでした。
先生にもう一度2か月後に来るように言われてしまいました。
シンガポールに検診後、すぐに帰るつもりでしたので、ショックは大きかったです。
先生からとりあえず予約をして、後で変更をしてもかまわないということでしたので、2か月後の予約をして、シンガポールに帰りました。

シンガポールに帰ってから

毎日32度と常夏のシンガポールは、真冬の青森とは違って、体調がすごくよくなりました。
日中は暑いので、日が落ちてから、公園を歩くことから始めました。
だんだんバランスよく早く歩けるようになったので、家の前のマリーナベイのまわりを週に3回1時間ぐらいかけて歩きました。
それから、ちょっとダンスでもしてみようと思い、タヒチアンダンスを習い始めました。
最初は大変でしたが、体感のバランスが取れるようになってきました。
と同時に、歩く姿勢に注意しながら歩く練習をしました。
足の膝が内側に入らないように、足が大きく前に出るように、しっかり一本の足に乗って歩くように、意識しました。
そうすると、自然に体が伸びてきて、足も伸びてきました。

再再診

4月の末に石部先生の所へ行きました。
体調はすごくよくて、筋力も正常値になっていました。
走ると、まだかかとに力が入らないので、膝や内側に痛みを感じますが、筋力が付くと改善されるとのこと、これから益々よくなるといわれ、うれしかったです。
地味な、ストレッチと筋トレは一人でするはつまらないのですが、確かに毎日やることによって、体は記憶していっている。つい忘れてしまいますが、意識をして、ストレッチをすることは本当に大切です。

現在

歩くことが大好きになりました。
以前は、いつも「ちょっとまって」と言って、子どもや夫の後ろを歩いていましたが、今は背後ではなく、横に並んで歩いています。
主人の実家のあるイギリスには、ハイキングするところがたくさんあります。
以前から、ハイキングができたらいいなあと思っていました。
今年は、主人の実家のサウスデヴォンに行きます。
ダートマーという国立自然公園をハイキングしたいと思っています。
そのあとは、おいしいスコーンとデヴォンクリームと自家製イチゴジャムとミルクティーでアフタヌーンティーを楽しみます。

シンガポールの医療事情

シンガポールの場合、保険制度がアメリカと同じです。
国保や社会保険というものがありません。
そこで、会社は外資の保険会社に加入をし、私たちは、その保険の適用枠で治療を受けます。
治療に関しては、保険会社が100%負担します。ただし、加入している保険のプランの上限があります。
股関節の手術をすることに関して調べた時に、先天性となると、保険の適用外になるようで、その辺は保険会社の判断によるようでした。
保険適用外となると、高額な費用を自己負担するということになるわけです。

私の場合ですが、
診察する時はまず、GPを尋ねます。そこから専門病院に紹介してもらいます。
病院はGeneral HospitalとPrivateとわかれます。
シンガポールには、大きなPrivate Hospital が2つあります。
一般に、外国人はそのどちらかのPrivate Hospitalにいきます。
治療費はGeneral Hospitalよりも倍以上です。
General Hospitalも外国人の場合だと、シンガポール人よりも割高だと聞いています。 
Private の専門医が手術をする時は、病院の手術室を借りて行います。
また、PrivateもClinic によっては費用がまちまちです。
こんな感じで、日本とは違い、安心して治療を受けられるというものではありません。
また、裁判になった時のことを考えたら、外国人という立場から、とても不利とうこと。
石部先生から、「シンガポールで治療をするということは考えなかったのですか」と、尋ねられました。もちろん、シンガポールで治療をすることも考えました。
しかし、信頼のおけるドクターを見つけることができませんでした。

手術をするとなると、抵抗や不安があるものです。
そして、何よりも思ったのは、この国のドクターや病院のスタッフを信頼して、いいのだろうかと、いつも思うことです。
日本の丁寧で細やかな医療に慣れてしまっているせいか、雑な扱いに疑問を持ってしまう。と、いうところでしょうか。
石部先生に手術をして頂き、小笠原病院に入院をし、リハビリの方、看護婦さん、掃除の方、栄養士の方、丁寧に対応していただきました。
私にとっては、病院食が日本食で、ありがたく味わって頂きました。
病室の窓からは、紅葉した木々の葉が美しく見え、秋の風陰気を味わうことが出来ました。
本当に満足のいく入院生活でした。
日本に居るときは気が付かなかったのですが、日本の医療制度は、先進国の中でも、かなり優遇されたものだと実感しています。

inserted by FC2 system