患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

冨田実様からの声

何の痛みかわからない?
 《変形性股関節症》を発症したのは50歳のときでした。自転車のペダルを思い切り漕いだそのとき、がくんと左足に衝撃が走りました。運動不足で足がつったようでした。痛みを感じましたがすぐ直るだろうと高をくくっていました。
ところが、1週間たっても2週間たっても、股間付近の痛みは消えません。気になったわたしはB病院を受診しました。
「ヘルニアです。手術すれば治りますよ。来週は3連休がありますから3日ほど会社を休めばできますよ」
副院長は手術をすすめました。
「いったん帰って家族と相談したいのですが、よろしいでしょうか」
副院長は快く了承してくれました。
このとき、あの〈しんしゅう〉が現れてわたしにささやいたのです。
(緊急ではないのだから、ほかでも診てもらったら?)
結局、副院長には断りの電話を入れ、2か所の整形外科を受診しました。いずれも「しばらく様子をみましょう」と湿布をくれただけで、病名は告げられません。困った挙句、重篤な病気かもしれないという不安もあり、T女子医大病院の膠原病リウマチ痛風センターに行ったのです。
「《変形性股関節症》です。整形外科で詳しく診ていただいてください」
女医さんが病名を紙に書いて渡してくれました。しっかりしたその言葉にこれは間違いないと確信しました。
そこで、東京でトップレベルのN大医学部附属板橋病院整形外科を受診しました。S先生が丁寧に図を描いて病状を説明してくださいました。それから13年間、年に1、2度通院し、経過観察をしてまいりました。

激しくなる痛み
 発症してから7,8年過ぎたころから、痛みが増してきました。特に階段の上り下りは応えました。仕事で出歩くと歩いた距離に比例するように痛みがひどくなります。湿布をしたり、風呂でよく温めたりして痛みを和らげました。昼間は緊張しているせいか、我慢できますが、夜になると痛くて眠れない日もありました。
母も両膝の関節症でした。心臓がわるいため、手術はできず、通院で両膝に溜まった水(関節液)を抜き、そこにヒアルロンサンを注入してもらっています。痛みは本人にしかわかりませんが、わたしたち親子は痛みを共有でき、それを通して心が通い合ったようです。何が幸いするかわかりません。
61歳で会社を辞めました。母の通院の手助け、介護をするためと、そろそろ手術を考えようという思いからです。
実は数年前からS先生に手術を勧められていました。そこの整形外科には著名なR先生がおられたので、「R先生にお願いしたら」とおっしゃっていただきましたが、「も少し我慢します」と先延ばししていました。
人工関節の耐用年数を考慮して、65歳前後を手術時期と想定していたからです。それに、T大で磨耗しにくい人工関節研究が進んでいるという新聞記事を見て、これができるまで待とうという気持ちがありました。

石部先生との出会いそして予約
石部先生とはインターネットで出会いました。人工関節手術のことを調べる過程で、先生のホームペイジに行き着いたのです。そこで驚いたのは手術実績です。感染症、脱臼、骨折、神経麻痺、深部静脈血栓症、術創縫合不全などの術後の各合併症の件数が明確に掲載されていたからです。しかも、手術にともなうリスクが網羅され、くわしく解説されていました。すごい先生がいる、S先生には大変申し訳ないが、石部先生にお願いしようと決心しました。
平成21年の夏、すでに歩き方が少しずつ左に傾ぐようになっていました。思い切ってクリニックへ電話をしました。
「お名前と電話番号をどうぞ」
予約はあっという間に終わりました。初診まで1年待ち、手術までは2年待ちでした。この日はなぜか落ち着きませんでした。とうとう決断した、という思いが強かったからでしょう。しかし、あまりにも先のことなのでなぜかピンときませんでした。

初診を受けに真駒内のクリニックへ
1年後の7月下旬、真駒内の駅にたどり着いたときは心細く、辺境な地へきてしまったと思いました。
タクシーの運転手さんに、
「ずいぶん遠くから患者さんが見えますよ。お客さんはどちらから」
と聞かれてほっ-としました。
クリニックへ入ると受付の女性たちが笑顔で迎え入れてくれました。これで緊張が一気にほぐれました。
初診の前に筋力測定が行われました。屈曲(前上げ)、外転(横上げ)、伸展(後上げ)を右左の足交互に測定します。
担当の女性が、
「前にまっすぐ上げてください」と言ってわたしの足を抑えました。
「力いっぱい上げていいですか」
「いいですよ」
ほんとうに大丈夫だろうか、と半信半疑も束の間、足は少し上がるもののぴたりと止まり、上がりません。どこにそんな力があるのかびっくりしました。わたしの左足の前上げは、10.0でした。その後、術後1年後検診までに3回測定していますが、8.7、4.5、7.8です。
測定を済ませ、X線検査を受けに隣接する建物へ向かおうと表に出た丁度そのとき、石部先生とお会いしたのです。
わたしがあいさつすると、先生は、
「のちほど、診させていただきます」とにこやかに応じてくださり、いっぺんに肩の力が抜けました。
検査が終わって診察のとき、石部先生に伺いました。
「わたしは85歳までは生きたいのです。人工股関節はどのくらいもちますか」
「高密度ポリエチレンは1年間で平均0.1ミリ程度磨耗します」
先生は穏やかな口調でお話しくださいました。
 その日は真駒内のアパホテル&リゾート札幌に泊まりました。風呂にゆったりつかって疲れを癒すことができました。

いよいよ術前1か月検診
 まだ肌寒い4月の下旬、再び、真駒内にやってきました。駅前の閑散としたやや殺風景な景色が懐かしく感じられました。検査が早朝からのため、前泊です。
 翌22日は、採血、検尿、心電図、CT(股関節)、X線(胸、腰)、肺活量等の検査のあと、石部先生から手術の説明を受け、手術依頼書にサインしました。
臆病者のわたしは、
「痛いですか」と思わずたずねてしまいました。
「痛くありませんよ」
先生が大きな包容力できっぱりおっしゃってくださったので、気持ちが楽になりました。
ひきつづき、担当の方が高額療養費や入院などについての細かい説明をしてくださいました。最後に車で10分程度離れた小笠原クリニック札幌病院へ移動して貯血です。
 自己血を貯血(400ml)し、万一に備えて万全を期していただけることにより安心しました。
 わたしの場合は金属アレルギーが心配でしたので、東京に戻ってすぐ、パッチテストを受けにT医科歯科大医学部附属病院を受診しました。
1,2回で終わるだろうと思いきや、8回の通院が必要でした。さらに肝心のクロムが漏れたとかで、追加の検査を余儀なくされたため、10回以上の通院になり、閉口しました。
かぶれの原因物質を背中に貼付して48間後、72時間後、1週間後に皮膚に起きた症状をみて判定します。石部先生から指示されたのは人工股関節を構成するチタン、コバルト、クロムの3種類だけでしたが、セットになっているため20種類以上の金属について検査を受けました。幸い、プラチナがわずかに反応しただけで、結果は問題ありませんでした。

ついに迎えた入院・手術
 前泊して朝、小笠原クリニック札幌病院に向かいました。しばらく待合室で待っていると名前を呼ばれ、事務の女性が4階の病室まで案内してくれました。
 4人部屋です。大部屋のほうが情報交換できると思い選んだのですが、人工股関節の手術をしたのはわたしだけでした。
 ほとんどの荷物は宅急便で送っておきました。バッグから必要なものを取り出し、整理してから売店に行き、マジックハンドと飲み物を買いました。マジックハンドはその後、大活躍です。売店の方が「ベッドまで配達もしていますよ」と言ってくれました。
帰りに病棟をくまなく歩いて回りました。病棟には男性が使えるトイレが2カ所あります。自動販売機が売店のとなりの休憩室とナースセンターの近くに置かれていました。
 入院治療計画書(A3で2枚)を見ますと、今日は血液検査のみです。平穏に時間は流れていますが、心も体も緊張しています。
平成23年5月19日。早朝に看護師さんが見えて浣腸、排便。そのあと、若い看護師さんが「注射します」、とわたしの左手に少し大きめの針を刺しましたが、なかなかうまく入りません。もう一度、今度はぐぐっ-と強い力で押し込んできました。血管が破れるのではないかと思い、「痛い、痛い、入らない、無理だよ!」と大きな声を出してしまいました。
若い看護師さんは静かに病室を出ていき、入れ替わりに浣腸してくれた看護師さんがきて注射をしてくれました。
 いざ手術です。さきほどの若い看護師さんが手術室の前で一緒に椅子に座って呼ばれるのを待ってくれました。このときほど、看護師さんの力を感じたことはありませんでした。黙ってとなりに座ってくれているだけでどれほど勇気づけられたことでしょうか。
 手術台に寝かされ、「これから麻酔をします」と声をかけられました。それっきり意識はなくなり、気がついたときには手術が終わって病室のベッドにいました。しばらくうつらうつらしていました。最初に酸素マスクが外れました。血栓予防のストッキングをはかされます。点滴と尿道カテーテルは入ったままです。体全体がほてっているようでした。
 翌日、理学療法士の方が見えて、「トイレまでの歩行練習をしましょう」と言われましたが、自信はありませんでした。ベッドからうまく起き上がれません。スリッパを履き、両杖で歩きますが、トイレまでのわずか数メートルがずいぶん遠く感じました。トイレでしゃがむときが一番辛く、やっとのことでクリアしました。
術後2日目はリハビリ室に行って両足の上げ下ろしを行い、廊下を半周しました。横歩きができればシャワーがOKです。尿道カテーテルが抜け、抗生剤の点滴も終了しました。
 看護師さんから、
「これからの数か月がいちばんあぶないですから注意してください。パンツはマジックハンドを用いて、ぬぐときは手術していない足から、はくときは手術をした足からの順番を守ってください。手術した足はひねったり、内側に入れたりしないように」
と指導を受けました。足を組むのは脱臼の恐れがあるので今後も厳禁です。
血栓予防の注射とフットポンプは術後6日目位に終わりました。
 その後も順調にリハビリは進みました。一週間が過ぎたころ、回診の石部先生から、「歩いてみてください」と促され、スタッフの前で病室と廊下を歩きました。ぎこちない感じでしたが、「いいでしょう」と先生に言っていただき、退院が決まりました。
 入院期間は予定通り、ぴったり10日間でした。窓から見える白樺の緑が印象的でした。

石部先生、スタッフの皆様に感謝
 1か月後検診、1年後検診も異常なく、術後2年を経過しましたが、すこぶる順調です。退院後2か月間、自転車はのりませんでした。車は3か月後から運転しています。重い荷物や中腰姿勢も極力避けました。杖は外出時に半年近く使っていました。駅の階段では杖が強い味方です。
正座はしません。法事のときも断って立ったまま拝んでいます。体重はほとんど毎日測定します。長持ちさせるために体重管理に気を配っています。
長寿命の人工関節は間に合いませんでしたが、手術してほんとうに良かったと思います。何年も待っている間、不自由でつらい日々を送るより、痛みのない充実した日々を送れたからです。
今は歩くことが楽しみです。普通に歩けることがどれほど素晴らしいことか、実感をもってかみしめています。
母は昨年他界しましたが、石部先生からいただいた新しい足とともに、母の分まであと20年、元気で過ごしたいと思います。
日々痛みに苦しむ多くの皆様が一日も早く手術を受けられ、本来のご自分を取り戻していただきたいと心より願っております。
石部先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。

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