患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

卯木 悦子様からの声

2007年、ゴールデンウイーク以降貴重な北海道5月の季節を体験させて頂きました。昨年は6月に右足人工股関節の手術を終え、そして今年の5月11日左足人工股関節の手術をして22日予定どおり退院いたしました。今回は二回目でもありますので一人で広島へ帰ってきました。すでに街路樹のライラックも綺麗に咲き始めていました。昨年同室で同じ日に股関節の手術をして仲良くなった山形県の大橋さんと今回も同じ日に手術して頂きました。二度目の事でもあり あまりの快適な入院生活に二人で、帰りたくない。退院したくない。等と不謹慎な言葉を日々連発していました。しかし今回二度目の入院ならばこその新発見、先生方のご苦労、恵まれたこの縁に改めて感謝することしきりでした。

私も先天的変形股関節症でしたので幼少のころから不自由な動きと運動会の練習の後など痛さに何度か泣いた覚えもあります。それでも手術だけはしたくないと思いました。手術をされた方の話は手術をしても良くならなかった。足が曲がらなくなった。最低1ヶ月はベッドに寝たきりで下の世話もしてもらわないといけない。等など絶対したくないと思うような内容でした。ですから何年間も痛みにも耐えてきました。3年位前から最小の旅行用キャリーカーにすがって「く」の字になって歩いていましたがとうとう、道の真ん中で足が一歩も前に出なくなる時が何度かありました。石部先生に最初に受診して頂いた時も、もうそれがないと歩けませんか?と聞かれたぐらい私の必需品でした。

もう限界。歩けなくなるかもしれない。もう既に長く歩かなければならない場所には主人が車椅子を押してくれていました。それ以上に痛みが激しく、毎日痛み止めの薬を飲んで寝てもその痛みで何度も夜、目が覚めるほどでした。今までは何をしていても、痛みから解放されることはありませんでした。しかし出来るだけ痛い、痛いと言わないようにと心がけました。それは私の母が今の私の年代から軟骨の磨耗で同じ様に痛い、痛いと言い続けましたが、どうしてあげることも出来ない周りの辛さも知っていたからです。

とうとう台所にも立てなくなりスーパーにも行けなくなった時、友人の知り合いの方が手術されたとの事を思い出し何か一つでも情報が頂けたらと思い電話をしてみました。奥さんが出られて「その人その人で違うので直接病院に行かれた方がいいですよ」ともっともなアドバイスを下さいました。「手術までは長く待つようですか?」「うちは先生と懇意にしていましたのですぐにしていただきました」ということでした。気落ちしていたところに友人からインターネットで調べてみたらのアドバイスを頂きました。それまでパソコンはありましたが頻繁に利用する年代でもなく考えもつきませんでした。「股関節」で検索しましたら多分石部先生のホームページだと思います。しかし操作が慣れてなくすぐ消えてしまいました。NTT病院とだけ記憶していましたのでそこから検索して再びたどり着きました。今ではトップにすぐ出ますがあの時なかなかたどり着けませんでした。人生の分かれ道だったのかも知れません。

患者さんの声の欄をみていくうち私の気持ちはもう決まってきました。手術の内容はあまりには詳しくはわかりませんでしたが受けられた患者さんがみなさん同じ事を言っておられる。私がかつて聞いた手術の内容とは違う。石部先生に手術して頂こう。土曜日でしたがすぐ先生に直接メールしました。今考えるととんでもない事ですが先生に予約をお願いしました。先生はすぐお返事を下さり詳しく予約の取り方、電話番号を教えて下しました。後からよく見れば方法も電話番号もホームページに詳しく書いてありました。それでも先生はご自分で丁寧に私に返信して下さいました。そこからが石部先生、人工股関節との出会いでした。

初診には一人で行きました。何故なら先生に予約を入れた時点で飛行機の予約を入れました。午前中なら予約が出来ますとの事に先生からまだ何の返事も頂いてないのに主人と二人分の予約をしました。実際は去年の3月の受診でしたが1ヶ月前の2月に二人で病院の下見に行きました。大吹雪の北海道でした。初診の時、8月には海外旅行をしたいのですがと先生にお話ししてみました。今考えるとよく今まで手術前のあの足の痛さで海外旅行もしていたものだと思いました。痛み止めの薬を何回も飲んで行っていました。先生は6月21日の手術の予定では8月中旬までは1ヶ月検診後すぐですが今よりはきっと楽に行く事ができるでしょうとのお返事をくださいました。てっきり難しいですねーって言われると思っていましたのでびっくりしました。

受診が終わって待合室に腰掛けていると1ヶ月検診の方々が「久しぶりー」って何人か楽しそうにお喋りされています。初診の方達はご主人と不安そうに受診を待っています。私は1ヶ月後にはどんな状態になっているのだろうかと思い見ていました。先生の受診前にリハビリ室で筋力測定をしに行かれる様子に杖は持ってるだけかもの雰囲気を見てしまいました。表情も明るくとても楽そうでした。
1ヶ月であそこまでなれるんだーとますます嬉しく希望が出てきました。手術の予定日が早く来ないか楽しみで待ちどうしいくらいになりました。

一回目の手術は一日に4人予定されていました。その内3人が同室で最初にされた方は7ヶ月前に一回目を終えられていました。その方に大丈夫だよー全然痛くないよーと励まされました。ほら手術した方は正座が出来るんだよーってベットの上に正座されていました。手術当日食事こそ朝から抜きですが他は何も準備することもなく手術前の決められた時間に浣腸をしてもらい、そこからT字帯を着用(売店にショーツになったものが販売されてますので全然抵抗はありませんでした)身体はお布団で覆って点滴、筋肉注射をされたその時点で意識がなくなっていました。そのまま自分のベットで手術室に行き自分のベットで病室に帰ってきます。気が付けば手術を終えて再び病室に戻っていました。後で思い出すと、かすかに手術室に入ったのかなーとの記憶があったような気がしましたが、後何も覚えていません。

病室に帰った時主人が「目がさめたかー?」っていいましたので「うん覚めたからホテルに帰っていいよー」って会話しました。すぐ先生が人工股関節のレントゲンのコピーを持って来てくださり、「しっかり入りましたよー」って見せて下さ いました。その後はそんなに痛い覚えもなく朝を迎えましたが、私の場合は少し吐き気がありました。翌日は先生の回診後、尿管を取っていただき歩行器につかまりながら自分の足で立ってリハビリ室に向かいました。本当に手術翌日からリハビリが始まりました。気持ちいいリハビリの時間は毎日楽しみでもありました。

退院して帰ってからの私のあまりに以前と違う楽そうな様子を見て79歳の母が私も手術がしたいといいだしました。母は血圧が高く毎日沢山の薬をのんでいます。多分無理だろうなーと思いながらも先生にお伺いしてみました。
先生は80歳だろうが90歳だろうが本人がするという意思次第ですよと言われました。私の1ヶ月後の検診の時に合わせて母も受診のため山口県から北海道に行きました。当時は帯広の関西病院でも手術をされていましたのでそちらなら3ヵ月後の10月にできますとのことに早速本人が予約をしてかえりました。

私は札幌NTT病院のことは分かりますが帯広の関西病院のことはわかりません。患者さんの声の欄で大塚さんが両方の病院の経験者であることがわかりメールで何度も病院の違いや注意事項を教えて頂きました。お陰様で母も順調に回復し今では痛みの無い生活を送っています。母も帯広での3週間の人々の出会いは今でも大切な財産になっていると言っております。高齢にもかかわらず手術して頂いた先生にとても感謝致しております。そして情報を下さった大塚さん本当にありがとうございました。

私の二度目の入院は何だか実家に帰ったかの錯覚さえ覚えるような「ただいまー」って感じで入院しました。今回も手術まで何人もの担当の先生や看護士さんが説明をして下さいます。その時先回の手術での辛かった事ありませんかー?と聞いて下さいましたので吐き気がしましたとの事を言いましたら今回は我慢をせずにすぐ言ってくださいねとの事でした。手術後夕方おにぎりを作ってもらって食べたのがまずかったのかなーと思いつつ今回はすぐ伝えましたところ吐き気止め、痛み止めの処置をしてくださり、その後吐き気も何の痛みもなく翌日を迎えました。

金曜日の手術でしたので土日とリハビリがお休みでした。日曜日の午前中、同室の大橋さんと二人で病院周辺を自主リハビリと称し外出してきました。リハビリの先生はびっくりされていました。もう外出したのですかって。
傷口は白い大きいガムテープのようなものが貼られていますので2日目後からは毎晩シャワーも入れます。手術の次の日からでも洗濯は自由に出来ます。まるで合宿生活のようでした

食堂では全国から来られた方達との情報交換の場でした。
先生との縁を頂いたことがどんなに有難い事かつくづく良くわかりました。過去の手術の恐怖から抜け出せない方達や、今でも情報が届かず痛みに苦しんでいる方達。その方達には少しでも早く情報が伝わりますようにと誰よりも先生が願って下さっています。勇気を持って手術されるかたはまだ本当にわずかですとおっしゃっていました。私は手術後、あの今までの痛みが無くなってから、それまで見ていたはずの世の中の景色がまったく違う色のように見えたのにはびっくりしました。

人生120年生きられるとするならば折り返し地点、還暦間近の58歳。今この時に再び新しい足を頂きましたので「後60年新しい足で世の中に尽くさせて頂きます」と先生にお伝えしましたところ
「後60年ですかー。きっと私はもう生きていないと思います」って笑っておっしゃいました。先生、これからも沢山の方々に痛みの無い新しい人生を差し上げてください。
私もこれからは生まれて初めて痛みのない朗らかな人生を送っていきたいと思います。

帰ってからは、今までの変な歩き方の癖でこれまで使ってなかった新しい筋肉を使う痛さと、正しい歩き方のため筋力トレーニングは必要です。しっくりいくまでは何ヶ月間はかかりますとのことです。当たり前の事ですよね。入れて頂いた新しい人工股関節は今から私の身体の一部になっていきます。その為の少しの期間はいるでしょう。しかし、かつての股関節のあの激しい痛みはもう既に思い出せなくなっています。

お陰様で二回とも本当に楽しい苦痛のない入院生活が送れました。先生方と病院のスタッフの皆様。同室の皆様の暖かい思いやりが全てだったように思います。本当にありがとうございました。これからは新しく頂いた二本の足、ずっとずっと大切に使わせていただきます。

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