患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

今泉眞理子様からの声

私は、一才の時「先天性股関節脱臼」で、ギブスで固定する治療を受け、ようやく歩けるようになりました。しかし、激しい運動をしたり、長時間歩いたりすると痛みが出るので、運動会や体育の授業はほとんど見学でした。びっこをひいて歩いていたので、クラスの男の子から「びっこ」とだといじめられ、泣きながら家に帰り、「学校へ行きたくない」と言って親を困らせたこともありました。
足は痛かったけれど、歩けないわけではないので、当時は日常生活で困るということはあまりありませんでした。

高校卒業後は、就職し、結婚し、出産も2回、経験しました。産婦人科の先生の、「帝王切開で」という意見も聞かず、普通分娩で出産しました。いま思えば、普通分娩で出産したことも股関節を変形させるひとつの原因だったのではないかと思います。

平成3年に、友人に誘われて今の会社に入社しました。毎月、150件から200件の集金をしながら営業をしていました。しかし、仕事をはじめて8年くらいたったころ、歩きすぎたせいか、太ったせいか、股関節の痛みがひどくなってきました。病院でみてもらうと、「両変形性股関節症」と診断されました。湿布と、痛み止めという治療でした。
しかし、足の痛みはひどくなる一方で、例えば横断歩道を渡ろうとすると、信号が変わる前に渡りきることができず、階段の上り下りもできなくなってしまいました。とうとうガマンできず、平成17年11月に、市内の整形外科を受診しました。先生は、私のレントゲン写真を見るなり、
「これはひどい変形ですね。どうしてこんなになるまで放っておいたのですか?」
というのです。そして、
「治療としては、もう、人工股関節にするしかないですね。でも、あなたの場合は、変形がひどすぎて、手術は難しいです。それと、人工股関節は、約十五年しかもたないので、あなたの年齢だと八十歳まで生きるとすると、将来もう一度交換しなければならなくなります。ですから、痛み止めであと十年くらい我慢したらどうですか?」
といわれ、たくさんの痛み止めを処方されました。

―私は手術をしてほしくて、やっと決心して病院に行ったのに、手術もしてもらえない。ああ、私はこのまま歩けなくなるのかな―

と、思いました。そんな時、友達から、
「インターネットで、手術してくれる先生を探してみたら?」
と教えられ、早速娘に調べてもらいました。
「お母さん、すごい手術をする先生がいるよ!」
という娘の声に、私も夢中でホームページを見ました。それが石部先生でした。MISという、傷を最小限にして手術する方法のことや、ナビゲーションシステムのことや、二週間で退院できることや、石部先生に手術してもらった患者さんたちの感謝の声など、いろいろなことが書いてありました。それを全て印刷してもらい、毎日読みました。
そして、それを夫に見てもらい、相談しました。病院が遠いから、だめだといわれるかな、と思っていました。すると、
「こんなすばらしい先生に手術してもらえるなら、札幌なんか遠くないよ。福島空港から直行便があるんだから」
といってくれました。そこで、平成18年1月30日の午後3時、初めて石部先生にメールでご相談しました。返事は1週間くらい後かなと思っていたのに、その日の午後5時頃に返事がきました。あのときの感激と興奮は忘れられません。
先生からの初メールは忘れもしません。
「メール拝読しました。時間があるなら診察にいらしてください。診察にて手術が可能かどうか判断します。」
娘と手を取り合って喜びました。
私の書いたメールを見て、診察に来てくださいといってくれた!すぐに返事をくれた!私を救ってくれる神様みたいに思えました。そして、こんな誠実な先生に手術してほしい!と心から思い、すぐに診察の予約をしました。私の診察は、3月2日に決まりました。

3月2日は、夫と二人で札幌へ向かいました。ただの旅行ならば、フルムーン気分で話も弾むところですが、緊張でほとんど話もしないままでした。
足の痛みはひどく、空港の中は車椅子で移動しました。
病院へ到着し、まずはレントゲン撮影です。その後、診察の順番がやってきて、名前が呼ばれました。診察室に入ると、インターネットで毎日見ていた石部先生がにこやかにいらっしゃいました。レントゲン写真を見ながら、
「お話しを伺いましょう」
と言っていただきました。私は、今までの病状を一生懸命説明しました。すると、
「メールを下さった方ですね」
と、覚えていてくださいました。このときは本当にうれしかったです。先生は、
「私も郡山の整形外科の先生と同じ診断です」
とおっしゃいました。ということは、手術は無理なのかな、と思いました。夫が、
「郡山では、手術は難しいと言われました。先生に手術をお願いしたくて今日は来たんです
というと、石部先生は
「手術できますよ。やりましょうか」
といってくださいました。夢のようでした。すぐにその場で手術をお願いし、予約をしました。私の手術の日は6月21日に決まりました。ですが、私は、肝心な、MISで手術してもらえるのかどうかを聞いていなかったのです。看護師さんにそっと聞いてみると、
「カルテにMISと書いてありますよ」
と教えてくれました。よかったーと安心してホテルに戻りました。そして、郡山で結果を待っている子供たちや友人に、手術ができることを報告しました。
その日の夜は、ホテルの部屋で夫と二人で祝杯をあげました。もう治ったような気分でした。帰りの新千歳空港では、うれしくてお土産を山のように買ってきました。
人工股関節の手術を受けるにあたって、石部先生からいくつかの指導を受けました。手術後、3ヶ月は杖をついて歩くので、その練習と、足の負担を軽くするために杖を使いなさいといわれました。郡山に戻ってすぐに杖を買いに行きました。花柄のかわいいものを買いました。そして、股関節に負担をかけないようにするために、いす・テーブルの生活に変えなさいといわれました。早速、いすとテーブル、ベッドの生活に変えました。また、筋トレもしておくようにといわれたので、筋トレもはじめました。

そして、6月1日、自己血貯血や検査のために病院へ行きました。
6月19日は、手術のために病院へ入院しました。ワールドカップの日本対ブラジル戦の次の日でした。
手術は、2日後の21日で、私は11時からの手術でした。
病室で手術の準備が始まり、私の肩に睡眠薬が注射されました。するとすぐに眠くなり、意識が朦朧としたまま手術室へ入りました。手術室で、
「麻酔のお注射をしますよ」
といわれたあたりから意識がなくなり、はっと目が覚めたときに、
「これから手術ですか?」
と聞いて笑われました。看護師さんが、
「もうおわりましたよ」
と教えてくれました。そして、石部先生の
「レントゲンを撮って終わり」
という声が聞こえて、
「ああ、おわったんだ」
と思いました。
病室に戻ってしばらくすると、にこにこ顔の石部先生がレントゲン写真を持ってきてくれました。
「手術は予定通りです。傷は9センチでした。人工股関節は標準より一回り大きいものを入れましたよ」
とレントゲン写真を見せて説明してくれました。レントゲンで見た人工股関節はなんともかわいらしい形をしていて、
「これが私の体の一部になったんだ」
と思うととてもいとおしく思えました。涙があふれてきて、
「先生、ありがとうございました」
というのが精一杯でした。
手術は大成功でした。問題はこの後のリハビリです。このリハビリをしっかりやらないと、せっかく先生に手術していただいたことが台無しになってしまいます。

手術の次の日から、歩行器を使ってリハビリ室へ行きます。手術の次の日ですが、傷が小さく体への負担が少ないため、すぐにリハビリができます。痛みもありませんでした。手術の経過もリハビリも順調で、石部先生からは、
「予定通り、2週間で退院していいですよ」
といわれました。私もそのつもりでしたが、退院があと3日にせまった日、廊下ですれ違ったリハビリの先生から、
「今泉さんは歩き方がおかしいね。せっかく福島から来て、石部先生に手術してもらって治してもらったのに、その歩き方のまま帰ったら、家族の人たちはがっかりするんじゃないかい?」
と言われて、すごくびっくりしました。
「私の歩き方のなにがおかしいんですか?」
とたずねると、
「人間はね、右の足と左の足を交互に出して歩くんだよ。でも、今泉さんの今の歩き方をみてると、右足しか出ていないよ」
というんです。そういわれてみれば、私は、右足をだして、左足は引きずってあるいていました。
私から石部先生にお願いして、リハビリのために5日間、退院を延長してもらいました。同じ日に手術を受けた3人は、予定どおりに、晴れ晴れしい顔で退院していきました。一人病院に残る私には、その姿がとてもうらやましかったです。うまく歩けない自分が情けなくて悔しくなりました。絶対にかっこよく歩けるようになってやる!そう決心して、次の日から、リハビリの特訓を受けました。両足を交互に出して歩く訓練のため、杖から松葉杖になりました。朝からリハビリ室へ来るように言われて、一時間の筋トレをし、そのあとは、階段の上り下りの練習をしたり、廊下を歩いたりしました。たまには病院の外も歩きました。午後には、またリハビリ室へいって、一時間の筋トレをし、その後はリハビリ室の廊下を歩きました。夜は、「自主トレ」なんていいながら、同室の人と病院の中を歩きました。

結局、19日間の入院でした。松葉杖での退院という、思ってもいない結果でした。足が相当弱っていたんだなあと思いました。
退院の日は、娘が迎えに来てくれたので、札幌駅まで食事に行くことにしました。大都会札幌の駅前を、トレーニング用のジャージにスニーカー、松葉杖で歩くなんて、今思えばかっこわるいですよね。ですが、この間まで、横断歩道すら渡れなかった私が、札幌駅の中を歩いてる!とおもうと、ジャージだなんて気になりませんでした。
家に帰って、家族に歩く姿を見せると、家族は本当に喜んでくれました。8月24日には、一ヶ月検診があるので、
「それまでには、杖だけで歩けるようにしたいね。リハビリ応援するからがんばって!」
といってくれる、家族という心強いサポーターがいました。

家に帰った次の日からリハビリです。娘に補助してもらいながら筋トレを一時間やりました。夕方はウオーキングです。夫に、家の近くにあるカルチャーパークという遊園地まで車で連れて行ってもらい、その周りを歩きました。最初は20分歩くのが精一杯でした。手術の前は、5分も歩けなかったのですから、大進歩です。毎日筋トレとウオーキングを続け、40分くらいは歩けるようになりました。

退院して一週間くらいたったころでしょうか。リハビリの疲れもたまってきていました。いつものように夫にカルチャーパークへ連れて行ってもらったのですが、着いたころに雨が降り出しました。私は、
「雨だから今日は帰ろう」
といいました。すると、夫は、
「大丈夫だよ」
といって、傘を差し出してくれました。そしてそのまま歩いてくれました。歩いている途中、私は自分が情けなくなりました。
「家族はこんなに協力してくれているのに、私は、雨のせいにしてリハビリを休もうとした。みんなの期待にこたえるためにももっとがんばらなきゃ」
と心を入れ替えてリハビリを続けました。
あと、エスカレーターに乗る練習もしました。動く床に足を乗せるのが怖くなってしまって、エスカレーターに乗れなくなっていました。でも、エスカレーターに乗れないと不便なので、娘とエスカレーターの乗り降りの練習もしました。
家でリハビリを始めてから2週間くらい過ぎたころには、杖だけで歩けるようになりました。手術した左股関節は痛くないし、右足と左足が交互にでるようになりました。
すると、右足が痛いことに気がつきました。今まで、右足が左足をかばってくれていたんですね。右足の痛みもなくなってくれたらどんなにいいだろう、と思うようになっていました。

そして、8月24日、一ヶ月検診のために病院へ行きました。病院には、手術の時に同じ部屋だった方や、同じ日に手術した方が来ていました。みんな、
「今泉さん、歩いて見せて」
と言うんですね。歩いて見せると、みんなとても驚いて、そして喜んでくれました。私以外のみんなも、すいすい歩いていて、おしゃれをしていて、入院していたときとは別人のようにきらきら輝いていました。元気に歩ける姿をお互いに見ることができて、とてもうれしい再会となりました。
一ヶ月検診では、まず、リハビリ室へ行って、筋力測定をしました。手術前の左足の筋力は、筋力レベルが1でした。ところが、今回の測定では、19になっていました。毎日リハビリを続けた結果です。心の中で、「やった!」とガッツポーズをしました。
そのあと、診察室に行くと、にこにこ顔の石部先生がいらっしゃいました。
「順調に回復していますよ」
とおっしゃってくださいました。私はうれしくなって、
「先生、右も痛くなってきたんです。右足も手術してください」
とその場でお願いしました。そして、右足の手術は、今年の4月4日に決まりました。
さあ、今度は右足の手術です。今度の入院では、ちゃんと2週間で退院するぞ!と固く心に誓って、入院の前日まで、筋トレとウオーキングと水中ウオーキングを続けました。
その甲斐あって、右股関節の手術は、予定通り2週間の入院でした。4月4日に手術を受け、15日には退院してまいりました。

そして、5月17日は、一ヶ月検診のため病院へ行きました。石部先生から、
「順調に回復しています。車の運転もOKです。あとは1年後に検診にきてください」
といわれました。
「ありがとうございました」
と、心からお礼を申し上げてきました。
検診の日は、4月の入院で友達になった方が3人、病院に来てくれました。みんなで杖をついて大通り公園の地下街を歩きました。周りの人たちは、杖をついてにこにこ歩くおばちゃん集団を見て、いったいどういう集団なんだ、と思ったことでしょう。でも、私たちは、足が痛くないのよ、こんなに歩けるのよ、と誇らしげに歩いてきました。そして、みんなで食事をし、夢中で今日までのことを話しました。
みんな、
「こんなこともできたよ、あんなこともできたよ」
とか、
「先生の許可はまだないけど内緒で車の運転してるの」
とか、足が痛くないのをいいことに結構スゴイことをしていました。
前回の入院で知り合った人、今回の入院で知り合った人、今は、全員が股関節の友です。

次の日、私は新千歳空港にいました。空港で飛行機を待つ間、お土産屋さんを見て回っていました。思えば、もう7回目の空港なので、お土産も、どこで何を売っているのか全部分かるくらいです。今までは、どちらかの足が痛くて、歩くのがつらかったです。でも今回は違っていました。足が痛くないんです。7回もこの空港の中を歩いていますが、右足も左足も痛くなく歩けるのは初めてです。
「ああ、歩ける歩ける!痛くない」
そう思った瞬間、うれしくて涙がこみ上げてきました。
地元の病院で、手術は難しいといわれ、落ち込んでいたとき、夫は、
「俺が杖になってあげるから」
といってくれました。その気持ちはとてもうれしかったけれど、やっぱり自分の足で歩きたい、と思っていました。石部先生をインターネットで見つけた時のこと、初めて石部先生の診察を夫と二人で緊張して受けた時のこと、ホテルで二人で祝杯をあげた時のこと、手術の後のリハビリのこと、そして、二度目の手術に向けて夫と毎日歩いたことなどを思い出しながら、ぽろぽろ涙をこぼしながら思いっきり歩いてきました。

歩くことは痛いこと。そう思って生きてきた私でした。でも、もう足が痛くない。歩ける、そうです、歩ける喜びを知りました。手術してくださった石部先生、応援してくれた家族に感謝しながら新千歳空港をあとにしました。
今は、杖を使うこともなく歩いています。階段も、横断歩道も気にすることなく歩けるようになりました。
今では、娘に、「お母さん、歩くの早いね」なんていわれたりして、なんだか不思議な気分です。
自分だけが痛いのを我慢していればいい、そう思っていましたが、痛がっている私の姿を見ている家族も辛かったんだと今は分かります。MISで石部先生に手術していただければ、たった2週間で退院できます。手術したあとは、痛みもなく、楽しい未来が待っています。私は、手術していただいて本当によかったと思います。
石部先生、本当にありがとうございました。

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