患者の声

※患者さまの写真につきましては、ご本人の了承を得て掲載しております。

E.M様からの声

2008年12月に石部先生に左脚の人工股関節置換手術をしていただきました。現在 術後4ヶ月が経ち今は痛みのない普通の生活を満喫しています。
石部先生の「この手術は痛みをなくする(少なくする)ためにするのですよ」
との言葉のとおりです。
嘘のようですが私は迷うことも不安に思うこともなく手術を受けたので私の体験が参考になるかどうかわかりませんが、手術をしてもらって本当によかったと思っています。
痛みのない生活は本当に快適です。
普通に日常生活を送れることを感謝できるのは素敵なことです。
石部先生との出会いに心より感謝しています。

<突然の恐ろしい予言>
1995年の春 腰痛の治療に整形外科の病院を訪れました。
診察室で院長がMRIの画像を見ながら唐突に「あなたは10年後には歩けなくなっているよ」と言われたのです。
その頃の私はと言えば仕事はただただ忙しく、ゴルフにも夢中でそのせいかどうかはわかりませんよくギックリ腰を起こしていました。
腰痛はしばらくゴルフを自重すれば治るくらいに考えていた私は「将来歩けなくなる」という院長の言葉にすぐ反応することができませんでした。
「はァ・??・・・それって私のことでしょうか?」みたいな感じでした。
病名を告げられた記憶はないのですが「股関節に問題があるから今後も様子を見た方がいい。1年に1度は検査に来てください」と言われました。
驚きはしたものの、何の不具合もなかったのでそんなに真剣に受け止めていなかったのでしょう。
結局そのままで、それ以来どこの整形外科にも通わず、経過観察することもありませんでした。

しかしながらこの時のこの予言はきっちり私の頭の片隅にインプットされていたということに後に気づくこととなります。

この予言を聞いてからも私のライフスタイルは変わることなく、これまでの生活を続けていました。

<穏やかな進行>
5年くらい前からでしょうかフィットネスクラブのランニングマシーンで走りはじめると左の膝の辺りから脚の外側(横側)?に痛みを感じることがありました。坐骨神経痛のような痛みです。そのまま走り続けているとなんとなく痛みが収まっていく気がして走り続けていたことが多かったように思います。インストラクターからは左脚をかばって走ってらっしゃるようですが無理なさらないでくださいとよく言われていました。
今思うと少しずつ症状が出始めていたのかも知れません。
ゴルフの後、ゴルフシューズの裏についた泥や草を取り除くために靴の底にエアーを当てますが、左足はその体勢をとりにくくなってきました。
なんとなく脚が上がりづらいのです。

今思うとなんて恐ろしいことをしていたのではと思いますが、当時ゴルフの飛距離を伸ばすことが目的で、フィットネスクラブで週1回パーソナルトレーナーについて筋力の強化トレーニングとメンテナンスのためのストレッチをしていました。
特に股関節強化の筋トレは辛く、股関節のストレッチは涙が出るくらいに痛みがありました。軟骨が磨り減って骨と骨が擦れあって曲がらなくなっているのを男性のトレーナーが全体重をかけて無理に曲げようとしていたのですから凄いです。痛いのが当然です。

でも「万事塞翁が馬」でこの地獄の筋トレのおかげで、術後私を順調に回復させてくれたのかも知れません。

<石部先生を知る>
2006年12月15日「とくダネ!」を見ながら食事をしていました。(その頃は朝いつもこの番組を見ていました。)
特集で医療プロジェクトー私たちがいま受けられる・・・最強ドクターの実力と最先端医療―で石部先生の人工関節のMISを取り上げていました。
「あなたは10年後歩けなくなっているよ」の予言は気にしていたつもりはないのですが、いつも私の頭の片隅にはあったらしく番組に見入りました。
徐々に不具合が出はじめていたせいもあると思います。
とは言うものの今ひとつ自身のこととは捕らえていなかったらしくそのことに関して全く情報収集をすることはありませんでした。が、その時は番組を見ていてこの先生には是非一度診てもらいたいと思ったのです。
思えば私は昔から何につけコトを唐突に決断する傾向があったようです。
決めた後の行動が早いのも特徴です。思うやいなや行動するタイプなので失敗も多いのですが、この時は大成功でした。
すぐにメールで「予言」のこと、現在の状態、手術を考えるとしたらどの時点で決断をすればよいのか等々を書いてお尋ねしました。
すぐ返事がきました。「見てみないとわからないので可能なら一度診察を受けてください」という内容でした。当然です。
当時、石部先生は札幌NTT病院と帯広の関西病院で診察をされていました。
TVの影響もあったでしょうが、予約を取ろうにも全く電話がかかりませんでした。月初めにその月の診察予約を全て取る方法だったと思います。
お話中で電話は全くかからず、ようやく昼過ぎに繋がった時はもう今月は一杯になりました。来月の月はじめにお電話をお願いします。という具合でした。そんな状況で札幌は全くダメでしたが、帯広の関西病院は繋がりました。
運よく帯広のその日のその時間だけ空きがあったのです。
万障繰り合わせて帯広に向かったのは言うまでもありません。

2007年2月 ―帯広で初診―
ようやく帯広の関西病院で石部先生の診察を受けることができました。
「手術の時期はあなたがしようと思う時でいいですよ」とのことでした。
股関節変形症の末期という診断だったと思います。
といっても我慢できないほどの痛みはまだありませんでしたし、痛み止めの薬も服用もしていませんでしたのでその時は手術をお願いしませんでした。
でも手術は石部先生にしていただきたいと決めていましたし、その節はよろしくお願いします。ということで失礼しました。
今思うと、あの時手術のお願いをしていた方がもっとよかったのではとも思います。そうすれば後に経験することとなる恐ろしい痛みを経験することもなく元に戻してもらえたかも・・・・。

2008年3月再診 ―手術をお願いするー
3月開業されたばかりの石部基実クリニックで再診を受けました。
この時もそれほどの痛みはなかったように思いますが、なんとなく今年はしようと思っていたので手術のお願いをしました。
これが大正解だったのです。絶妙のタイミングだったと思います。自分の内なる声に耳を傾けるのは正解だと思います。

症状が急激に悪化
手術をお願いして安心したせいもあるのでしょうか。それと愛犬の脚の怪我が
多いに関係しているのでしょうか、夏頃から痛みに悩まされるようになりました。勿論痛み止めの服用も始めました。
7月に愛犬のケンタ(北海道犬Mix ♂11歳)が家の中で階段を踏み外し後ろ左足の靭帯が切る大怪我をしました。入院して手術後の抜糸まで2週間くらい、その後、歩けるようになるまで1ヶ月くらいだったでしょうか、13kgのケンタを抱きかかえて家の階段を壁によりかかりながら上がったり降りたりを1日に2~3回していました。その頃は脚の痛みがかなりひどく泣きたいくらいでしたが、ケンタは家の中にトイレシートを敷いても排便ができないので、いつもの公園まで連れていかなければなりませんでした。歩かせることができないので、朝晩2回車に乗せて行っていました。乗り降りの度に13kgの荷物を抱えるような具合でしたから、この頃から急激に悪化したような気がします。

  • 椅子から立ち上がって一歩が踏み出せない
  • 少し歩くと痛みで歩けない。
  • 靴下がはけない
  • 爪がきれない
  • 夜寝ると(横になると)痛みが強く眠りが浅い
  • 痛みで寝返りが打てない
  • 車の乗り降りに支障をきたす

変形性股関節症の代表的な症状が揃ってきました。

待望の手術日の連絡
手術日が決まったら3ヶ月前にお知らせします。と手術をお願いした際言われていました。手術日のお知らせの電話をいただいた時は本当にうれしかったです。3月に石部クリニックで再診を受けた頃とは全く違う状態だったので安堵しました。それからは嬉しくてカウントダウンしていました。この痛みとも後何日でお別れと。
左が変形性股関節症なのに右脚の膝の裏がものすごく痛くなり、歩くのがとても負担でした。階段が特に大変になりました。
左脚の痛みの上に右膝の裏も痛み出したものですから、ガラ悪く?関西弁で言うと「一体どないなってまんねん!!これは歩いたらアカンと言うことかいなッ!」という状態です。
これは大変、左脚の負担がかかって右膝も悪くなったのかと慌てて近所の整形外科に行ったところレントゲンの結果は異常なし。「きれいな膝です」と言うことでした。

まさに満身創痍状態でした。
手術1ヶ月前の診察と貯血
石部クリニックでの診察の際に「何か聞いておきたいことはありませんか?」と先生に言われた時には、何も思い浮かばず困っていると、折角来られたのですからと机の上の人工股関節を手に取り、これが人工股関節ですと手渡されました。
「へェ~そうですか」という感じでした。ここまできても何の不安も感じない私って相当鈍いタイプかも・・・。
入院の説明をしてもらった後、貯血のためにはじめて小笠原病院を訪れました。3階の病室の1室だったのでしょうか、そこで400ccの採血をしてもらいました。
順番がくるのを3階の食堂で待っていると、まだ手術前の人でしょうか、とても辛そうに杖をついて歩いている人がいるかと思うと、リュックにマジックハンドをさして颯爽と杖もつかずに廊下を歩いている人がいたりしてとても興味深かったです。
貯血が終わり病室を見学させてもらって、個室をお願いして帰りました。

初めての激痛
貯血後から手術に備えて痛み止めの服用をやめました。確か1週間前くらいから服用を止めるよう言われたと思うのですが、私は1ヶ月前から止めました。
痛み止めが効いていたという実感があまりなかったので、止めてもそんなに影響はないでしょうくらいに考えていました。ところがどっこいでした。
ある夜中、寝返りを打った際これまで経験したことがないほどの激痛に見舞われたのです。痛みでほとんど眠れませんでした。それから数日間眠るのが怖くて仕方がありませんでした。夜がくるのが恐怖でした。
このまま起きられなくなって札幌に行けなかったらどうしようと真剣に恐れていました。

待ちに待った入院
12月3日札幌入り 札幌駅前のホテルに宿泊  手術は5日で入院は4日 
札幌から真駒内まで地下鉄南北線に乗るために駅前のホテルから地下鉄南北線の札幌駅まで歩いたのですが、これが想定外に大変でした。
1ヶ月前の貯血の時もこのホテルに泊まりこのコースで真駒内まで移動したの
ですが、その時は何ともなかったのに、この時は大変辛かったです。
近い距離でもタクシーに乗ればよかったと歩いている途中何度も後悔しました。荷物もこの日のために購入した超軽量のゲラルディーニのショルダーとリュックにしましたが、でも本当に辛かったです。
杖をついていても足が思うように前に進まないのです。長いコートを着てスノーブーツのような地元の人なら街中では履かないような靴も履いていたので余計動きが悪かったのでしょうか。情けなかったです。
でもなんとか真駒内駅に到着 小笠原クリニック札幌病院のお迎えの車に乗り込みようやく一安心。

荷物が入らない!!
私は個室をお願いしていたので、受付でその旨伝えたところ、残念ながら個室ではありませんとの回答  ウソぉ!!と落胆しましたが、案内されたのはやはり3階の3人部屋の廊下側のベッド。
個室を希望しても予約はできないとのことだったのであきらめるしか仕方がありませんが不安は募るばかり。もう少ししたら大荷物が届くことになるからです。
カーテンを閉めずにベッドに横になって、廊下を行きかう人を眺めているとまるで道端で横になっているようでした。通りすぎる人と目が合うと会釈していかれるのが楽しかったですが、一方でこのスペースにあの大荷物を一体どこに収納すればいいのかと思い、頭の中はパニックでした。
何の担保もないのですが、自分の強運を信じて個室対応の荷物を用意してきたのです。無謀とナントカは紙一重ですね。
付き添いもお見舞いも断り一人でゆっくり優雅に入院する気満々できたので下着も洗濯しなくてよいように日数分+α、日数分+αのコヒー、カプチーノ、お茶、割り箸、本当に読むつもりこんなにというくらいの本、部屋着等々、それとお鍋(個室にはミニキッチンがありました。)

真ん中のベッドの方が私の入院した日が手術日だったので、ベッドサイドに何やら機械が置かれ、私の仕切りのカーテンがさらに私のベッド側にふくらみ・・・・。
お隣は手術を終えられたばかりなのであまりバタバタしては申しわけないし、どうしましょう・・・と本当に動揺していました。
そうしている間に私の大荷物が到着。大きいスーツケースとダンボール箱 1個。
どう考えても収まらない。
親切な看護士さんに手伝ってもらってなんとか収まりました。
というか幸い窓際のベッドが空いていたので、スーツケースやダンボールは窓側に置いていただいたおかげです。
朝移動する際あんなに辛かったのに無事入院した途端、すっかり痛みを忘れてしまっていました。
杖もつかずに部屋着でウロウロしていると、「どこもお悪いように見えませんね。」「脚痛くないのですか?」「何時手術されたのですか?」と言われる始末。

ラッキー 個室に移動。
荷物も収め、ようやく落ち着いて眺めの良いベッドに横たわり、廊下を眺めていると婦長さんが来られました。「個室が空きました」と。
ようやく収まった荷物を又もとに戻し、いそいそと個室に移動。
これで本当に一安心。
病は気からと言いますが、私の場合特にその傾向が強いかもです。
入院してから全く痛みを感じていない自分に気づき驚きました。私って単純?
杖はすぐ置き忘れてしまうし・・・・。

手術の説明に麻酔の先生が来られ、手術室の看護士さんが挨拶?にこられたりしてあわただしく時間が過ぎました。

手術も無事終わり、合併症もなく、予定通り退院。

手術室に入って注射をされたのまでは意識がありました。次に気がついた時は自分の病室のベッドの上でした。
私も石部先生の宇宙服のような手術着を一目見たいと密かに思っていたのですが何もかも眠っている間に終わっていました。

手術直後 多分レントゲン写真を見せてもらったり無事終わった旨説明を聞かせてもらったりしたのでしょうが返事はしていたそうなのですが、何ひとつ記憶にありません。
返事はしていたそうですが・・・。おかしなことを言わなかったか心配でした。

手術翌朝 ベッドから降りて床に立った時感じた違和感は 私の場合は 腫れ でした。脚全体お尻の下まで腫れていたのでなんか変な感じは当然でした。しかしあの嫌な痛みは全くありませんでした。
内出血のために脚とお尻と下腹部が所々赤黒くなっていました。

先生が言われたように術後1ヶ月検診の頃には腫れもひき、赤黒い色も元に戻っていました。

私はリハビリも全然苦ではありませんでした。
現在4ヶ月半が経過しました。
勿論全く痛みはありません。手術前に先生に「ご自分の脚になるのは1年くらいはかかるでしょう。」と言われましたが多分もっと早いのではと思います。
喉元過ぎればナントヤラで、あの痛みを最早忘れてしまいそうです。

くつ下は履けるし、脚の爪も切れます。恐る恐るゴルフクラブを振ってみたのですが、左脚に体重が乗っても何ともありませんでした。
車の乗り降りも普通にできます。
電車に乗ること、歩くことが苦痛でなくなりました。
そして何よりもうれしいのはケンタと散歩ができることです。

私のあまりにも順調な回復ぶりを見て「あなたがそんなに順調に回復したのは有名な良い先生に手術をしてもらったからよ」と何人もの人に言われました。
それはその通りだと思います。
私は偶然TVで石部先生のことを知り、迷うことも不安に思うこともなく、本当になんの躊躇もなく手術を受けることができました。そして手術からわずか4ヶ月くらいで発症前のような生活が送れるようになりました。

石部基実クリニックの皆さん、小笠原クリニック札幌病院の皆さんありがとうございました。
石部先生ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

つい最近NHKのプロフェショナルという番組で動脈瘤が専門の先生を取り上げていました。朝4時まで診察をされたり、手術をしたりと大変な日常でした。経験値と技、技術力は比例すると考えるのが一般的ですから、素人考えでも手術件数の多い先生の方が腕がよいと推測できます。
腕が良い先生のところには患者さんが集まります。するとますます腕が上がるということになります。
それも資質と人間性がベースにあってのことでしょうが。
患者さんが喜んでくれるからこの仕事が続けられるのです。とこの先生もお話されていました。

私も普通の生活ができるように再生していただいたのですから自分にできることで少しでも人のお役に立つことをしなければと思いながらも愛犬との散歩に幸せを感じる毎日です。

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