3.人工関節への決心
・20代後半〜30代 仕事、結婚、出産、育児となんとか元気印で、ほとんど杖を使わなくなりました。 走ったり自転車も乗れたし、子供と追いかけっこも出来ました。 それから、少しずつ、痛みが強くなり、外出時は杖歩行になり、出来ないことが増えていきました。 ・40代前半 定期健診のたびに、「手術の時期ですね」と言われていました。 かなりの痛みがあっても「鎮痛剤は、使うと痛みがなくなり、かえって無理をするので」と、なかなか鎮痛剤をもらえません。 将来の手術のために、身体障害者手帳の書き換え(右股関節症も入れてもらう)を相談しても、診断書は書いてもらえませんでした。 その後も、主治医を決められず、再置換を考えると年齢が早く、諸事情の中で、手術の決心はつきません。 さらに、昔の手術の、術後の痛み・長期間の寝たきりの苦痛・長期間の療養などの経験が、次の手術をためらわせていました。 ・40代後半 今までしっかり体重を支えてくれていた右が、徐々に痛くなり、50歳になった頃は、左より痛みが強くなっていました。 立っていてグキッと激痛が走ると、もう、動けなくなり、家族が助けるか?と言ってくれても、自分でどうにかするしかなく、情けなくて情けなくて・・・・。 激痛を我慢して、股関節をゆすりながら緊張して硬くなった筋肉をほぐして、やっと次の体勢に移動してました。 四六時中、両方の関節がシクシク痛みがあり、夜中に何度も目が覚めていたので、知人や周囲の人に「痛みはどう?大変そうね」と言われても、痛みのあるのが普通で、なんと答えたらいいものか、答えようがないことが多かったです。 ・2007年3月 股関節痛→行動範囲が狭くなる→運動量低下→体重増加、筋力低下→ イライラの増加→生きる意欲の低下→などなど、いいことはなく、悪循環。 自分の人生を大切にしようと、決心して、二箇所の股関節専門の病院を受診。 石部先生の診察を受けた時、「痛みの強い右から手術しましょう。右は変形が少ないので、表面型の人工関節が使えます」と言われ、手術を即決。 (結局、右は臼蓋の形成不全が強いため、表面型は使えないことが分かり、がっかりしました。) ・2007年6月 右股関節痛は悪化するばかりで、12月に予定していたNTT病院での手術まで待つのがつらく、小笠原クリニック札幌病院で、右人工股関節置換術を受けました。 ・2007年12月 左人工関節置換術を予定。 4.おまけ〜私の笑い話 ・その1〜 雪道で杖歩行中、いきなり雪の中に杖がスボッと埋まり、抜けなくなり、股関節はグキッ!転びそうになります。本人は大慌てです。その後も杖は、なかなか雪の中から抜けません。 ・その2〜 我が家の玄関は北向きで、緩やかな傾斜があります。両股関節が痛くなってから、玄関前がしばれてツルツルになると、私の筋力では玄関に向かって歩こうとしても、つーっと滑って戻されてしまいます。寒いのに、いくら歩いても、前に進めず、家に入れません。 玄関前から携帯電話で家の中の家族にSOS 「おかあさんだけど、玄関前にいるから、助けてぇ〜。寒いよぉ〜」。 家族は大笑い!でも、これも本人は必死です。 ・その3〜 (私の母の口癖)〜びっこ(今は、不適切な表現なのかもしれません)を引きながら歩く私を見るたびに、「お母さんの骨盤を、お前にあげたいよ」と言います。 おかあさ〜ん。取り替えられるなら欲しいけれど、人工関節置換術より、大変だわよん(笑) ・その4〜 出産後、あまりの股関節の痛みで、子供を抱いて部屋の中を移動できません。 お風呂から出た後、バスタオルにくるんだ息子を、タオルのまま床をずるずるひっぱって暖かい部屋へ移動。 息子は、天井をながめながらキョロキョロ。 |