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その3.入院〜宮崎から札幌まで

いよいよ入院です。
入院前日に、宮崎を経ちました。
札幌に経つ前日、母親と夫と3人で食事に行きました。
80歳を超える母にも、随分心配かけてしまいました。
母はいつでも私を気遣い、手助けしてくれました。
本当なら、娘の私が何かと手をかけ、楽させてやらねばならないほどの高齢なのに、親不孝な娘でした。

さあ! 家の片付けも完璧!
例え何があっても大丈夫なくらいに片付けました(笑)
退院のときに迎えに来てくれる夫の旅支度までしておかなければならないので、
大変です。
なんだかんだと、ベッドに入ったのは2時過ぎになってしまいました。

痛い脚でこのベッドに寝るのも、今夜が最後です。
脚の痛みが出た頃、2階に上がるのがきつくなり、1階に寝室を設け、痛みがなく眠れるようにと、買った低反発のマットレスです。

ここに来るまでには、夜中に一人声を殺して何度泣いたことだろう・・・
そんなことも、このベッドだけが知っていることでした。

この数年のことを思い出したり、ここまで文句のひとつも言わずに支えてくれた夫に
感謝したりと、泣きながら寝入ったのは、おそらく4時は過ぎていたと思います。

翌日は、ちょっと腫れた目で、夫と二人、母に見送られて、お昼の飛行機で宮崎空港を経ちました。

羽田で乗り継ぎ、千歳に着いたのは、16時半。
千歳から電車で札幌駅に向かい、その夜は札幌に泊まりました。
夕食は、何か美味しいものを食べようといいながらも、結局札幌駅の中で済ませ、展望台で夜景を眺めました。

宮崎から、ずっと考えていた夫への御礼の言葉・・・
何分の一しか言えなかったけど、初めて口にしました。

入院当日の朝は、曇り空、南国育ちの私には、5月にしてはとても冷え込む朝でした。
夫に付き添われ、小笠原クリニック札幌病院へ着いたのが10時。
お部屋が決まらないとのことで、一旦仮のお部屋に入りました。
早速病院のパジャマをいただき着替え、弾性ストッキングのサイズを測ったり、
入院、手術の説明を受けたりとスケジュールは続き、あっという間に時間が過ぎていきました。

麻酔の先生の説明の時には、ちょっとドキドキ・・・
実は一週間前から咳が止まらなくなっていたんです。
場合によっては、手術が中止になるかもしれないと、心配だったのですが、
大丈夫でしょう!との先生のお墨付きをいただき、ホッとしました。

午後になり、お部屋も決まり、荷物の整理も済み、夫は引き上げました。
お部屋は3人部屋に2人。
同室のお仲間は、同じく明日手術のTさんです。
私よりちょっとだけお姉さんのTさん、「いい人で良かった!」と内心ホッとしました。

夕食のあとは、Tさんの持って来られてた北海道のグルメの本を見ては、
「あれが食べたい、これが食べたい」と、美味しいものの話でリラックス・・・

今夜は熟睡できそうだと思いきや、やはり消灯後になると、急に緊張してきて、
なかなか寝付けず、これまでの事や家族のことなど考え、またまた涙ポロリ・・・

私を苦しめ続けた、でも一生懸命支えてくれた愛しい股関節との最後の夜は長い夜でした。





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